仏像と土偶をもとに描いたボールペン画を紹介しながら、日本美術の前半の歴史を考察していきます。
土偶
僕の中での土偶はコレだったのですが、調べたらこれ以上の、国宝級の土偶もありました。
様々な形状があってどれも可愛いですが、左上の「遮光器型土偶」は一番ポピュラーだと思います。
遮光器というのは、簡単に言うとスキーで使うゴーグルです。
ムダに偉そうな名前だなと思います。
土偶は本来、残らないはずのものです。
というのも使い方としておそらく、祭りの時に飾って、最後は壊すことで、ケガレを取り払っていたからです。
ですが後期の縄文人は、大事に残していたようです。
そもそも割らなかったり、割れたのを直した土偶が残っています。
ぬいぐるみを捨てられずに大事にとっておく、みたいな事でしょうか。
取り上げたのは「ハート形土偶」です。
人型のものの形がどうしてこんな美しいデフォルメになるのか、特に頭の形をハートで表現したのか、さっぱり分からないです。
利権も政治も絡まない、神と自然の世界に生きた人間の世界観がこうだとしか、言えないです。
だからこれをもとに描いた時も形をたどることが楽しかった記憶があります。
腕の先端まで、ここに愛しい意味がある気がしました。
阿修羅
仏像で有名なものの一つです。
阿修羅は「八部衆」という中の一人です。
インドで仏教が始まった時、元々インドにいた古代神と結びついたもので、身分としては如来や菩薩の部下といったところです。
仏の中では下っ端の方ですが、面白いのは、日本人に人気な仏像ほど、仏のランクが低いことです。
インドの神なので、名前といい、どこかオリエンタルな香りが魅力です。
平たく言えば、ハーフのイケメンみたいなものです。
特に顔がキレイです。目がカッと開いていて、どこか少年のような。
こういう顔の仏像は、後にも先にもないです。
仏像の、ランクの低いものばかりが人気になるのは、その「説明の必要性」にあると思います。
仏は、偉くあればある程、様々な欲から逃れ、何も持たなくなります。
それをビジュアルで表現すると、「何の飾りのない仏像」になってしまいます。
つまり仏像を通して教義を説明する必要がある以上、偉い仏像のパッと見の外見はイマイチになるのです。
ランクの低い仏様は、その点自由度が高いです。
武器を持ったり、イヤリングしたり。さすがに何着てもイイ訳ではないですが、華やかです。
そういったビジュアルの差が、偉さと人気が逆になる理由だと思います。
金剛力士像
鎌倉時代はじめ頃の作品です。
運慶をはじめとする慶派グループの大人気作です。
これも阿修羅と同じく、仏のランクは低いです。
運慶の作品は一度見に行ったことがあります。
腰付きやポーズの力強さも凄いのですが、間近で見ると指先の血管が浮き出ている様子まで表現していて、細部まで徹底した美の結晶と言えるようなものでした。
「玉眼」という目を水晶で作る技法もあって、かなり生身の人間に近い印象を持ちました。
その上で、人であるような、しかし人を超えたような生き物を表現している、凄いものだなと思いました。
まとめ
こう見ると、三者三様の味わいの像です。
このボールペン画も様々な思いを込めて作るものなので、先人の思いを辿ることは重要だと思います。
あまり宗教的になるのは避けたいですが、ポジティブな気持ちになれるような、そんなボールペン画を目指していきたいです。